うちの地元に「盾津」という地名がある。
地名の由来は日本書紀を読んだ事がある人なら「あ、あれか」となる。
神武天皇(書紀ではイワレビコ)が東征にて、生駒山に住むナガスネビコと戦い
散々な目に遭って、盾で矢を防ぎながら船で逃げた。
盾の津で盾津。
その後、東に回って太陽を背に戦い、勝利して天皇になった訳。
盾津という地名、戦中は「盾津飛行場」があった。
その盾津飛行場を建設したのは、かの火の用人お爺さん「笹川良一」氏その人です。
笹川氏が昭和九年に陸軍に寄贈し、大阪陸軍飛行場として開場。
盾津飛行場と呼ばれるようになった。
さて、戦後の話になります。
GHQに接収された後、農地として払い下げられた。
またその後に、飛行場の一部はトラックターミナルとして開業。
東大阪トラックターミナルは大阪府都市開発株式会社の事業としてスタート。
都市開発はその後、泉北高速鉄道株式会社に社名変更。
その後、泉北高速鉄道は南海電鉄の子会社となる。
南海電車の子会社に住之江興業という会社がある。
住之江競艇場の賃貸・管理をしている会社である。
故に、ボートレースの冠に「ラピートカップ」と呼ばれるものがある。
競艇と言えば笹川良一氏。
笹川氏の故郷は箕面。
住之江競艇の主催施行者のメインは箕面市。
なんとな~く繋がってます。
別段、深い意味はないのだけれど、盾津という地はなかなかのパワースポットだと思います(笑)
ちなみに、私はそんな事も知らず、旧飛行場跡地に出来た「大阪機械団地」内にある
商社で営業マンをやっておりました。
今は仕事で毎日「盾津飛行場誘導路」を通り、休みの日はボートピア泉佐野の横を通り、船へ。
あ、そうそう。
競艇で使うエンジン、「ヤマト発動機」って会社が作っています。
神武天皇の日本書紀での名は神日本磐余彦天皇(かみやまといはあれびこのすめらみこと)
最初に戻ループ!(笑)
0 件のコメント:
コメントを投稿